【社交優位性逃走型ADHD】あなたは逃走型ADHDの生き残りですか?【私は確保されましたw】

どうも!

とり @toriatama1adhd です!

休日の朝、あまりぱっとしない天気ですが…

気温は21℃、最高気温でも23℃

札幌は過ごしやすい一日となりそうです

さて、今回は私がADHDの診断を受けるまでどのような人生を送ってきたか?

あまり需要がなさそうなテーマに迫りたいと思います(笑)

逃げることを繰り返すうちに高度な回避能力を身につける


人間はなにか大きな課題や苦難を乗り越えるために多大なる精神エネルギーを消費します
私の持論ですが…
人間は一生の間で消費する精神エネルギーには限りがあるのかもしれない
と思っています。
精神エネルギーは検査やテストで数値化することはできず…
そもそも精神エネルギーの存在自体が科学的に証明されていません
私はADHDの特徴の一つでもある
難しい課題面倒な仕事から逃げ出す傾向がありました。

なぜ逃げるのか?逃げるきっかけとなったある日の出来事…

小学校の頃の私を振り返ると

  • 落ち着きがない
  • 気に入らないと癇癪を起す
  • 無駄におしゃべり

という特性があり、先生を困らせていた記憶はおぼろげにあります。

ただ…

子供の頃は嫌な事から逃げたり遠ざけたりするのは当たり前で、学校生活を通しいて自然と責任感や目標達成に向けて実行能力が養っていくというものです。

しかし私にとってはその後の生き方を変えたと言っていいくらいの

大きな事件に遭遇します…

算数のテストで父親が激怒

たのしい算数4年生下

私は恥ずかしながら小学4年の分数でつまずきました…

学校での成績は比較的よく4年生までは常に90点~100点を維持していました。

しかし分数の概念がどうしても理解できなかったようで…

珍しくその日の算数のテストは40点台に終わったようです…

家に帰り母にテスト用紙を見せると

「しょうがないね…お父さんが帰ってきたら教えてもらいなさい」

と一言、台所で忙しそうに夕飯の支度をしていた。

その日の父は酒に酔っていた

「なぜこんな問題が解けないだ!」

テスト用紙を見るなり、いつもは温厚な父が烈火のごとく怒り出し私に罵声を浴びせた…

私はパニックになり鉛筆を持つ手が震えた…

「どうしてわからないんだ!」

「小学生でこんな成績では将来が見えてるぞ!」

「頭が悪いのはお前のせいだ!(母を指さして)」

父が怒鳴れば怒鳴るほど混乱して思考どころではない…

「違う!!やり直せ!!」

父の怒号と共に…

尋常ではない量の消しゴムのカスが机を覆っていく

ショックと悲しみで涙がこぼれた…

テスト用紙にこぼれた涙が滲んでいた…

私は間違った回答を1問も直すことが出来なかった…

1時間ほど経っただろうか…

父はブツブツと独り言を言いながら寝室に行ってしまった。

この日私は学習した…

テストで悪い点を取ることは【悪】だと…

その日以来テストで悪い点を取ると親に見せない子供になった…

都合が悪くなると「嘘」をつく子になった…

困難な場面に遭遇すると「逃げる」子になった…

父親のせいにはしたくないが、この事件をきっかけに私は変わりました。

社交優位性逃走型ADHDの誕生

社交優位性逃走型(しゃこうゆういせいとうそうがた)ADHDは私が勝手に考えた名称です

これは自分を元に、もしADHDが各特性ごとにもっと細分化されていったら自分はここだろうなという想定の下に話を進めていきます。

とり少年はそんなトラウマ的経験を経てもなお、明るく元気な毎日を送ります。

しかし、算数の成績は一向に上がらず苦手意識だけが増幅されていきました。

生まれながらに活舌だけは良く、早口で気に入った話題ならポンポンと単語が出てきて際限なく喋ってしまいました。

クラスでも人気はあり、よくクラスメートを笑わせていた記憶があります。

権力が怖い…

権力者(教師、父親、PTA会長など)に怒られることを極端に恐れる私は、クラスで問題があった時やイタズラが露呈した時は全身全霊をもってそれを回避しました。

それは父親から受けたアノ事件が影響しているのかもしれません。

口数が多くて、逃げ足が速くて、臆病者

それでいてひょうきんで、お調子者

そして嘘をつく子でした。

発達障害の自覚がない迷惑な大人

私は可能な限り困難な課題から逃げ、重要な問題から目を背け、徹底的に逃げの人生を歩んできました。

結果出来上がったのが…

社会的に逸脱した迷惑な大人

というわけです…。

そんな人間が社会で成功するはずあがありません

20代はの頃は直属の上司の指導方法が気に入らずその日のうちに逃走しました

30代の頃は同僚と喧嘩の挙句に居づらくなりそのまま退職

40代のころは様々な人間関係でトラブルを起こし自主退職

困難に立ち向かうべきだったのか?
だとした立ち向かう対象は?

ADHDでも普通の人のように努力すれば私の人生は変わったかもしれません…
では私は何と闘えばよかったのでしょう?
  • 弱い自分?
  • 逃げる自分?
  • 不真面目な自分?
自分はADHDだという認識がないまま自己改善に取り組んでいたら私はどうなっていたのでしょう?
今となっては分かりませんが…
上手くいかず…
消耗して…
うつになっていたかもせしれません。
もしかしたら無意識のうちに危険回避していたのでは?
もちろん逃げる事や心の弱さに自覚はありました…
でも不思議と自分には逃げることしか選択肢がないと思い込んでいました。

ここで精神エネルギーを使うべきでない…

少なくともADHDの診断を受けるまで自分がどのような状況になっているかさえ分かっていなかったと思います。
そんな状況で自己改善が出来たのでしょうか?
私は中途半端に自己改善に取り組まなくてよかったと思っています
その証拠にADHDと診断を受けてからの私は、オープン就労という避けられない状況の中で大きく変貌を遂げました。
それに先人たちがネット上に多くの有益な情報を残し、試行錯誤して、心血を注いで形にしてらっしゃる。

その時初めて

「自分は一人ではない」

と思ったのを覚えています。

これは読み手に取って賛否両論あると思いますが…

私は逃げることで精神エネルギーを温存し

ADHDの診断を受けて

満を持してエネルギーを解放した

そのことによって自らの発達障害を克服しようとしているのだと思います。

と、お思いの方もいらっしゃると思いますが…

そうとでも思わないとやってられません(笑)

逃げを正当化しているわけでなく、発達障害の自覚なしで何を改善するために労力を使うのか?ということが言いたかったのですが伝わったでしょうか?

自覚なきADHDが自覚ありADHDに確保された瞬間

私のよき理解者Y氏は言います。

「発達障害だって知らない方が良かった?」

私は首を横に振ります

「むしろ感謝しています」

きっかけは彼女の

「あなたってもしかして発達障害じゃないの?」

その一言が始まりでした。

逃げることで精神エネルギーを温存して

迷惑な大人になったとり逃走犯

47歳で確保されました! 

そしてとりは地獄のオープン就労を経て経験値を積み、新たな職場に降り立ちました

困難や苦労は相変わらずありますが、立ち向かうべき対象が明確でゴール設定も容易です。

最後に…

私は分かっています

服薬なしでADHDを克服する自分のイメージが…

そのためにしなければならないこと…

取り組まなければならいこと…

ブログを通して常に情報発信し続けることこそ

私のライフワークであることを

手ごたえを感じています。

今後にご期待ください!

最後までお読みいただきありがとうございました!

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