オープン就労というのは
『私はADHDという発達障害者です』
『皆さんとは違う人間なので配慮して下さい』
ということを公表して職場の人たちに理解を求め、共存していくことです。
しかしオープン就労に定義はありません。
企業や職場によって対象者への対応は変わってくるし、逆にADHD者に対して全く配慮のないところもあるかもしれません。最悪の場合解雇というケースもあるでしょう。
私は47歳という高齢でADHDの診断がつきました。
今まではちょっと変わった人、独創性があふれる人、落ち着かない人で済まされたことが転職をきっかけに全てが否定されるようになり人としての自尊心を失い、失意の日々を送っていました。
自分が発達障害であることを受容するには、自分が想像したよりかなりの時間を要します。
定型発達者と同じように『常識』という掴みどころのない価値観を追及していかなければなりません。
私にとってオープン就労とは何だったのか?考えていこうと思います。
1.ADHDの公表
私は2017年の1月に自身がADHDであると職場に公表しました。
私の部署では定期会議の中で私の発達障害を取り上げ…
今後はとりさん(筆者)に配慮し、今まで通り仕事がしやすいよう環境を整えましょう
と上司も一定の理解を示してくれました。しかし、その場にいた同僚達は頷きながらも微妙な表情で私を見ていました。
私はその時点で職場でもケアレスミスが続き、かなり行き詰っていました。当時の心境としては…
この一連の失敗は私の不真面目さではなく、避けようのない発達障害の影響もあることを理解して頂きたい
そんな気持ちがあったのは言うまでもありません。自己がADHDをカミングアウトすることで、少しでも同情してほしいという甘さがあったのは、今にして思えば少なからずあったと自覚してします。
この時点では私は事態は好転すると淡い期待をしていました。
2.私を取り巻く環境
私の勤め先である部署に本部から人事課長が訪れ、今までついていた役職の辞退や勤務形態の変更などの説明を受けました。
以前ついていた主任の役職に関しては自分でもオーバーワークであったことを認め、上司とも事前に相談し決めていましたが、勤務形態や職務の制限もセットでついてくるとは予想していませんでした。
当時の私には…
「苦しさから解放されて早く楽になりたい」
という気持ちが先に立ってしまい、長々と語られる人事課長の言葉を鵜呑みにすることになります。
後に私は今後訪れるであろう苦難に気が付くことができず後悔することになります。
私が受けた職務制限
- シフト制で5段階の勤務帯だったのに対し、1形態のみの単一勤務に固定される
- 基本的に重要で責任ある仕事に就けない
上記二つが最後まで私の足枷になりました。
3.誤算・自滅・事件
大きな誤算…
自己のADHDを公表後は処方薬である『コンサータ』を服用し心機一転、意気揚々と出社しました。
しかし現実は残酷にも私の思い描く構図にはなりませんでした。
あの雰囲気は今でも忘れません。
あの日から私は発達障害者としてカテゴライズされ、定型発達者である向こう側の人たちから一線を引かれたと思いました。
どう接していいか戸惑う人
作り笑顔がぎこちない人
いつも通りと心がけるあまり話しかけ過ぎる人
接触を極端に避ける人
人それぞれなリアクションでしたが。
『障害』
という言葉は、曲がりなりにも47年間普通の人として生きてきた私にはあまりにも重いステータスです。そしてジワジワと私の心を蝕んでいきます。
そして、この時既に気付き始めていました…
オープン就労の怖さを…
大きな誤算です…
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本来煩雑な職場環境で、他の職員の特性や留意点などを考慮しながら働く余裕など周りにはありません。
自滅への道…
表向き上司や人事部の方は『配慮します』というが、実際したことは私の勤務を簡略化し責任が伴う大事な業務から遠ざけただけです。
要するに「最低限の事だけやってください。あとは私たちだけでやりますから…」
と私は感じました。
しかし給料は一般職と同じです。周りの私に対する風当たりが徐々に強くなっていきます。
障害者枠での就労でないのなら一般職と同じレベルを要求されるということを。
一部の職員から執拗に細かいミスを指摘されるようになり、精神的に追い詰められるようになりました。
形だけの配慮された空間で私は孤立していくようになりました。周りの目が気になりだし、他の職員がヒソヒソ話を始めると自分の事を言ってるのではないか?名前を呼ばれるとまた何か間違ったのか?と神経質になり、常に現場ではビクビクしていました。被害妄想の発現です。
被害者意識が生まれ意固地な態度に…
同僚に入社時期が近く当初は仲良くしていた人がいましたが、私の消極的な態度が気に入らないようで叱咤激励のつもりか、強めの口調で間違いを指摘したり苦言を呈してくれた時期がありました。被害妄想が頂点に達し、ストレスの塊となっていた私には彼女の指摘や指導は、もはや悪質なイジメにしか捉えられなくなってしまいました。
そして逆上する…
世の中では正論を主張していれば多少論調が荒々しくても許されるという風潮があります。
所謂『もう少しマシな言い方ないのかい』状態です
その日は特に彼女と接する機会が多く、ことあるごとに業務のミスを取り上げ粘着してきたことがありました。私の怒りは頂点に達し
「〇〇さん。あなたが今日1日私にした事は一点の曇りなく正しかったと言いきれますか?」
4.苦悩の日々
皆さんは『フランケンシュタイン』という古典SFのストーリーを覚えていますか?上の画像が良く『フランケン』を連想させますが。これは『怪物』でフランケンではありません。作ったのがスイスの名家の出身で科学者を志していたフランケンシュタイン博士のことで、この怪物にはもともと名などありません。
フランケンシュタイン博士は狂気の研究の果てに『理想の人間』構想に着手し、自ら墓場に赴き人間の死体を盗み出し、それらをつなぎ合わせることで怪物の創造に成功しました。
誕生した怪物は類稀なる怪力と知性、そして人間性をもっていたが所詮は死体をつなぎ合わせた体であり容姿は醜く、人間の様相を呈しているもののおおよそ人とは言えないものだった。そのおぞましさにフランケンシュタイン博士は絶望し怪物を残したまま故郷へ帰ってしまいます。しかし怪物は健気にも創造主であるフランケンシュタイン博士を追い求めスイスまでたどり着きます。
しかしその醜い容姿から人々からは忌み嫌われ迫害されることになります。怪物は自己の存在自体に意味があるのか?と悩むようになります。せめて自分を愛してくれるたった一人の存在が欲しいと考えるようになりフランケンシュタイン博士に対して自分の伴侶となる異性の怪物を造って欲しいと願い出ます。
伴侶ということは子孫が増えることになりかね無いことを危惧した博士はこれを断りますが、怪物は創造主であるフランケンシュタイン博士に絶望します。やがて絶望が憎悪に変わりフランケンシュタイン博士の家族や友人を次々と殺害していくこととなります。
この後ストーリーは怪物も博士も死んでしまう(正確に言うと怪物は北極海へ消える)悲しくも寂しいラストです。
私がなぜ「フランケンシュタイン」を取り上げるのかというと。
定型発達者同士なら軽い『いざこざ』で済んだものが
発達障害者が絡むと『事件』になっていないか?
フランケンシュタイン博士の創造した怪物は人間性にあふれ優しい気持ちを持っていたが、その醜い容貌のために忌み嫌われた。人々の偏見と先入観によって本来持つ清らかな内面性を見てもらえなかった。
私たちADHD者を含む発達障害者は誤解を受けやすいことは事実だが『障害者』というだけで偏見の眼差しで見ていないだろうか?私たちの人間性や定型発達者と同じく、言動には理由があり事件の背景にある真の内面まで見てくれているのだろうか?
私が受けた説明は
「彼女はあなたの表情から危険を感じて「怖かった」と恐怖を訴えています。今後はあなたから話しかけることを禁止します。」
というもので、私からの弁明を殆ど聞いてもらえませんでした。
私が受けた精神的苦痛やADHDに対して配慮のない対応を訴えましたが…
以下のように一蹴されました。
そんなつもりはなくても相手がそう感じたらそれが事実なんです、ということでしょうね。
女性を怖がらせたら男性はチワワみたいなカワイイ顔をしていても不利になることを学びました。
今、怪物の気持ちが一番わかるのは私かもしれません(笑)
5.まとめ…
最初から足枷をつけて就業するなんてナンセンスですから(笑)
しかし、こんな状況でも私はたくましく毎日の業務をこなし元気に生きています。
このパワーの源は数少ない理解者であったり、習得したスルーする力であったり、アイデンティティーを大切にしたい気持ちと自信であったり、私は自分を捨ててはいません。
メンタル強化についての話は後日改めてしたいと思いますが、今後も私は情報発信し続ける必要があると思っています。
需要がある無しは別として、継続していかなければなりません!と勝手に思っています。
ADHDで困っているたった一人の助けになれば幸いです。