体育会系の人ともう一度向き合ってみる…精神論や体罰を全否定するのは勿体ない話

どうも!

とり@toriatama1adhd
でございます。
札幌は気温も涼しくなり
もう秋ですね…

市内メインストリートの大通りに面する「大通り公園では」では

毎年恒例で…

北海道の食の祭典と言われる

さっぽろオータムフェスト2018

が北海道胆振中東部地震の影響で延期していましたが、今日(執筆時9/15現在)8日遅れで開催されました。

地震で記録的な被害を受けた北海道で未曽有の295万戸のブラックアウト…

やっと市内も物資不足が落ち着き、運営側も今日の開催にこぎつけたようです。

私も早速行ってみる予定です♪

では、本題に入りましょう!

今回は私の息子を通わせている柔道教室の指導者と話してADHDの私が改めて思ったこと、気付かされたことなどを交えて話を進めます。

ADHDと体育会系精神論の大きな隔たりと当事者同士で話すことで見えてきた誤解と和解について書いていこうと思います。

体罰を禁じられたスポーツ指導者が次に打った手は?

石原慎太郎・幻の廃刊本「スパルタ教育」より

「自分で逃げ道を作ってるんですよ」

話の滑り出しはそこから…

息子を指導して頂いてる柔道の先生の話。

試合で結果を出せない息子へ

「お前がなぜ勝てないか言ってみろ」

と息子に問いかけるのだが…

まともに答えられない。

小学校を上がると同時になんとなく始めた「柔道」

私の勤めていた2つ前の職場で親しかった同僚が

「息子ちゃん柔道始めてみない?」

の誘いに半ばノリで応募したのがきっかけだが…

モチベーションの低さもさることながら息子は

「やらされてる感」

が強いし、それを指導者に見透かされているのは明白であった。

自分が負けたのは○○のせいだから

  • 相手が強すぎた
  • 体格差で負けた
  • 体力的に負けた
  • 気持ちで負けた

先生はこう言います…

お前の思っていることは全部

「何かのせいにしている」

何かのせいじゃない!

全て自分の「弱さだ」と…

  • 弱いから負ける
  • 強いから勝つ

上記2点はすごくシンプルで

「そんなことは誰でもわかるわ!」

と思いますが…

「弱い」だけ言われ続けてると洗脳されるみたいで私が不安になってしまします。

要は…

なぜ自分は弱いのか本気で考えれば自ずと答えは出てくるのだという事

そのために自分は何をすべきか自分の頭で考えろと…

小学校5年生には酷な問いかけです。

先生は続けて息子を追い詰めていきます…

「投げられれば投げられるほど強くなる」

「練習量は嘘をつかない」

「センスがないならその分やれ」

科学的根拠はなさそうなアドバスが飛びます…

ADHDに限らず親として私はいつか反論してやろうと思っていました。

体育会系は不器用な人が多い

  • 言葉足らず
  • 「馬鹿野郎」が口癖
  • 力の誇示でしか強さを伝えられない
  • 言って理解できないなら暴力で分からせる

一昔前はこんな指導者は当たり前…

というかこれくらい過激じゃないと務まりませんでした。

そういう意味では所謂「スポーツ馬鹿」の人って、私たちADHD者に共通する部分も無くはないですね。

全てがこんな人ばかりとは言いませんが…

それしか方法がなかったのでしょうね。

ある意味同情します

やはり本人が考え選択する。親の力は限定的

「私は柔道未経験で他の経験者の親御さんと比べると、知識がない分不利ですよ」

そんなことを先生に漏らしたことがありましたが…

一蹴されました。

「それはお父さんの逃げ口上ですよ!」

「有名なスポーツ選手の親は全員が経験者ですか?答えはノーですよ」

最近で言えば全米オープンで日本人女子で初となる優勝を果たした

「大阪なおみ」の父は全くのテニス未経験者…

「親に専門的知識がないので不利だ」

ということは全く根拠がないし、そこで私が思考停止してしまうのは親として怠慢だと思った。

一見無茶苦茶な事を言ってそうで、実は理にかなった説得力があることを言う、息子の先生は不思議な若者だ…

多少強引でも彼の言うことは正論だと思った。

スポーツ精神論は科学的根拠が通用しないのか?

しかし、息子の成績がじわじわ上がり始めます…

厳しい練習にも耐え、体格ががっちりとしてくると同時に今までは勝てなかった同じクラブの子に負けなくなりました…

  • それまで数えきれないくらい激しく投げ飛ばされました
  • 半べそをかくくらい激しい練習をこなしました

そして結果が出るのです。

痛みや苦しみを伴った指導方法は有効なのかもしれない。

時として精神論は正しいことが証明されたのだと思いました。

共通言語で対話していなかった

正直「体育会系は嫌い」という先入観と「精神論に馴染めなかった」自己の経験で作られた、固定概念に縛られていた事は改めて思った。

今回の経験は息子の成長にも、私の成長にも大きく影響する日となった。

彼が言いたかったのは

  • 命のやり取りをするくらい危機感をもって臨まなければ勝負には勝てない
  • 最終的にやるかやらないか決めるのは自分

これからの指導はスパルタ式一辺倒な指導ではなく、自分に考えさせ気付かせる教育がメインだと彼は言います。

これだけメディアで体罰指導が叩かれている昨今…

指導者も淘汰されていくのでしょうね。

息子の先生は精神論を唱えますが、決してそれを強要するわけではなく、あくまでも本人の選択に委ねます。

根性論や精神論は言葉足らずで不器用な指導者が、半ば強引な論法で発信するから誤解されやすいのです

言葉の奥には相手を思いやる愛情が隠れているのですが…

それを善意か悪意かを見分けるのは難しいですね。

同じ人間ですからコンセンサスが一致すれば絶対分かり合えるはずなのです。

痛みを伴わないと分からない人

私は子供のころから

「本当に痛い目を見ないと分からない子」

でした。

ADHD特性も手伝ってか同じ間違いを繰り返すことが多かったし

怒らていることに対して何がどう悪いのか理解するまでに時間が掛かりました。

私が子供時代は体罰全盛期

  • 小学校では殴られて当たり前
  • 中学校では竹刀をもった生活指導の先生が…
  • 高校でも反抗すれば袋叩き

そんなことは珍しくありませんでした。

しかし今となってはあの頃の恐怖支配があったからこそ、今の自分の倫理観や道徳性が養われたのではないか?と思っています。

孤立する人種

こうなると…

叩かれて、殴られて学習していく

「体で理解していくタイプ」

は置き去りにされます。

言って分からない者は

「さようなら」

「帰っていいですよ」

落ちこぼれは救われない時代…

体罰で始動する才能もあることはある

人間に本能的に残っている闘争本能は極限まで追い込むことで呼び覚まさないと、厳しい勝負の世界では生き残っていけない。

時として体罰は必要なのかもしれない…

私は暴力肯定はしないが、一つの可能性は消えたと思っています。

スポーツ指導において、特に武道における勝負の世界はとても厳しく、柔道などは競技人口の多さから日の目を見ずして埋もれていく人が大勢います。

その中で選手たちは何を学ぶのでしょうか?

勝負の世界の厳しさか?

練習に耐えた暁に得られる達成感か?

勝利を手にした時に得られる栄冠か?

人それぞれでしょうが…

息子が何を選択し、どこに向かうかはまだ先の話でしょう…

温かく見守るだけです。

私が抱いていた体育会系精神論者への誤解

私たちが「敵対」していた対象は私たち自らが作り上げた虚像だったのかもしれません。

アメリカとソ連が冷戦時代に互いを「仮想敵国」とみなし繰り広げていた核開発競争に似ています。

人にとって理解できない対象は「恐怖」「怒り」「敵」なのです

私にとってスポーツの世界に生きるアスリートたちは別世界の人たちで理解できない人たちでした。

まさしく…

「恐怖」「怒り」「敵」

そのものでした。

今回「柔道」というスポーツを通して指導者と話す機会があり、私のスポーツ精神論者への誤解は解消されました。

めきめきと力をつけていき、逞しくなった息子を見て思わず笑みがこぼれる私でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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